形見の時計

人生初の時計修理。

 

 

携帯電話で時刻は確認できますし、

 

 

肌身離さず身に付けるものではないんですが。

 

 

奥さんからもらった時計(右)が電池交換のタイミングだったので、

 

大好きだった、今は亡きおばちゃんの形見の時計(左)も修理に。

 

数年前に親から譲ってもらった時には動いていませんでしたから、

 

その時から修理しようと考えてて。

 

タイミングがなくて今に至りました。

 

おばちゃんは、僕が幼稚園の時に病気で他界しました。

 

おばちゃんには子どもがいなくて、それもあってか、

 

僕が生まれた時、我が子のように喜び、かわいがってくれたそうです。

 

亡くなる直前に病室に呼ばれたのを、今でも覚えています。

 

亡くなる直前というよりも、それが最後に会った記憶。

 

遺影ではすごく笑っていて、いつも見られている感覚。

 

幼い頃、風邪で寝込んでいる時、その部屋で寝ていると、

 

怖いような、優しいような気配を感じていたけど、

 

今思えばおばちゃんが見ていてくれたのかな、と思う時があります。

 

決して高価な時計でもないでしょうし、

 

修理したからといって特に何もないでしょうけど。

 

時計の針が動くことは、心臓が動くこととは違うでしょうけど。

 

でも、時計がまた動き始めたのは何か嬉しいです。

 

ここぞという時は、この二つの時計を持参する宣言です!!